席替えで差し込む光が邪魔でなくなった日

「梅雨入りしたけど、雨どこ行った?!」

そんな晴れ空の始業前、仕事場の席替えを行いました。
席替えと言いましても、窓を背に作業していたレイアウトをそっくり逆にしたという程度のモの。
しかし、視線が室内にしか向かないのに比べて、見上げればビルだらけ・・・とはいえ、お外が見えるのは意外に開放感があっていいものでした。
今まで窓を背に作業をしていると、外の光がモニターに映りこむことがあり、わざわざ日を遮るためにカーテンを引く必要もありましたが、それもなくなりましたし、梅雨の合間で晴れてはいますが、直射日光が差し込んで灼熱地獄を現出させるほどでもない。

「おお、これはなかなかいい!」

自然光が差し込んでくる中で仕事とかちょっといい感じです。
日が暮れたら、もう帰るべきだと思い込めますしねー。

本日はそんなレイアウトで自然光豊かになった職場から光にちなんだお話でも。

日本家屋は明るいか?

日本家屋的なもので思いだすのは、父方の実家の家。
何せバスの終点から更に歩くような場所でしたし、近くの川は蛍の時期には見物に行くような、まさに「THE田舎」です。
玄関を入ってすぐに土間があり、そこから座敷に上がって、奥の座敷には仏間があるような作り。
母方の実家も大体に似たような作りだったので、ある時代におけるかなり一般的なつくりだったのではないかと思います。

………で、この家が日の光が差し込まない。つまり日中でもかなり暗いんです。
座敷の横が襖廊でしたが、そこを開ければ廊下越しにガラスの引き戸だったのでまだ日が差し込むのですが、居間の方は真横がほぼブロック塀でしたので、ほとんど外光が入ることが無く、台所は更に光が入らない。
昼間に遊びに行っても、照明をつけないと新聞読むのはかなり厳しいという感じ。

なので、子供ながらに父方の実家は「暗い家」というイメージがありました。
それ以外にも「座敷牢」や「開かずの間」など、何かと日本家屋には暗いイメージを持っています。

ただ寺社仏閣で暗い中にご本尊があったりするのは、また別のイメージがあるのですが、これは生活の場と信仰の場の違いから来るものなのだろう思っています。

 

光の道も一歩から

光は闇を照らす性質から信仰なんかと結びつきやすかったのだと思いますが、冴えたるものが、それを利用したステンドグラスかもしれません。ガラス自体は紀元前数千年、メソポタミアやエジプトに期限があって、紀元前1500年頃には高価な装飾品として扱われるようになります。
ただステンドグラスは起源を明確にできる歴史的証拠がまだ見つかっていないそうです。
それでも一つ言えるのは、キリスト教以前にはおそらく存在しなかったらしいということ。
つまりステンドグラスと言うものはキリスト教的芸術なのだそうです。

11~15世紀にかけての黄金期、寺院の窓を飾ったさまざまなステンドグラスが、室内に幻想的な空間を作り出していたのでしょう。

日本ではぱっと同種の宗教施設を思い出せませんが(確かに光ってますけど、金閣寺も中尊寺金色堂もちょっと違う気がします)、光と宗教という観点で言えば、JALのCMで有名になった宮地嶽神社の「光の道」はそれっぽいかもしれません。

宮地嶽神社

神社に繋がる階段の一番上から見下ろすと、玄界灘まで伸びる参道とその先の海に浮かぶ相島が見渡せます。
そこに太陽が並ぶことで、これらが光で一直線に結ばれ、光り輝く神秘的な情景を見ることが出来るとのこと。

比較的近場の神社で初詣にも行くのですが、2月の下旬と10月の下旬の年二回しかチャンスがないので、なかなか拝むことが出来ない塩梅です。

 

そんな感じで、今回は「光」にちなんだお話でした。